最近、「カメラロールの中の自分」と「鏡に映った自分」とのギャップに戸惑う人が増えています。
とくに、加工アプリを使い慣れた世代ほど「加工した顔のほうが自分らしく思える」「すっぴんの自分が信じられない」と感じやすい傾向にあります。
けれど、その感覚は決して“変”でも“病気”でもありません。
むしろ、今のSNS社会においてはとても自然な反応です。
この違和感の背景には、自己認識と自己表現のバランスの崩れ、つまり「SNSでの理想の自分」と「現実の自分」との距離感が関係しています。
この記事では、そのギャップが生まれる仕組みや心の中で起こっていること、そして少しだけ気持ちを軽くするヒントをお話していきます。
加工アプリがつくり出す「新しい当たり前」
自分でも気づかないうちに「盛れた顔」が基準になる
今の加工アプリは、肌をなめらかにしたり輪郭を補正したり、ワンタップで理想に近い“自分”をつくってくれます。
最初は「ちょっと整えよう」くらいだったはずが、何度も使ううちに「これが私の顔」と感じるようになり、すっぴんの自分や無加工の写真を見たときに「誰これ……?」と戸惑ってしまう。
これは決してあなただけではありません。
むしろ、今のSNS文化では多くの人が同じ違和感を抱えています。
見られることを前提にした“自分”が増えていく
SNSに投稿する写真は、どうしても「人に見せる前提」で選びます。
自然と、「少しでもよく見える自分」「盛れている瞬間」が優先されるようになります。
その積み重ねが、“人に見せる自分”と“本来の自分”を分けてしまい、自分自身のリアルな姿を受け入れにくくなる原因になります。
「違和感」が生まれる心理のしくみ
自己認識のゆがみ
私たちは、自分の姿を“他人の目”で見ることで、自分という存在を把握しています。
SNSでの「いいね」や反応の数が、自分の価値を測る材料になってしまうことも多い時代です。
加工された写真ばかりが好評価を受けると、「それが私の本当の価値なんだ」と錯覚しやすくなります。
その結果、現実の自分に“がっかり”してしまう。これは自己認識のゆがみが原因です。
承認欲求と自己否定のループ
SNSでは、たくさんの人に見られ、評価されることで「承認されたい」という気持ちが生まれます。
でも、その承認が「加工した自分」に向けられていると、「本当の自分は認められない」という気持ちが強くなります。
このギャップが深まるほど、「無加工の自分は価値がない」と自己否定へとつながっていくこともあるのです。
その違和感と、どう向き合えばいい?
無理に「本当の顔を好きになろう」としなくていい
よく、「自分をもっと好きになりましょう」と言われますが、加工に慣れた自分にとっては、「無加工の自分をいきなり受け入れる」のは簡単なことではありません。
まずは「好きになろう」とする前に、「受け入れがたいと感じている自分も、悪くない」と認めるところから始めてみましょう。
加工するのは悪いことじゃない
「加工してるなんてダメだよね…」と、後ろめたさを抱えている人も多いかもしれません。
でも、メイクやファッションと同じように、加工も自己表現のひとつです。
大切なのは、“加工した自分”と“現実の自分”の間に、優劣をつけすぎないこと。
どちらもあなたの一部であり、どちらもあなたらしさなのです。
「見せるため」だけの自分にならないで
SNSに投稿する写真が「他人のため」になってしまうと、自分の心が置き去りになります。
「この写真、私は気に入ってる?」と、自分自身の気持ちに立ち返る時間をとってみてください。
“映え”よりも、“自分らしさ”を大事にすることが、心の健康にもつながっていきます。
心の距離感を取り戻すためにできること
スマホから離れる時間をつくる
加工された自分ばかりを見ていると、本当の自分の感覚が鈍くなってしまいます。
意識してスマホから離れ、自然光の中で鏡を見る、友達と直接話す、
そんなリアルな体験を増やしていくことが、“本来の感覚”を取り戻すヒントになります。
本音を出せる人とつながる
SNSでは、どうしても“よく見せたい”気持ちが先行します。
でも、素の自分を出せる関係は、心を回復させてくれる大きな力になります。
信頼できる人と話す、カウンセラーに相談する、本音を出せる場所がひとつあるだけで、気持ちはずっと楽になります。
おわりに:そのままのあなたでも、ちゃんと価値がある
加工が当たり前になった今の社会では、「本当の自分」に違和感を抱くことは珍しくありません。
でも、それは決して「あなたが弱いから」でも、「自信がないから」でもありません。
ただ少し、心のバランスが傾いているだけ。
だからこそ、少しずつ、自分のペースで“自分らしさ”を取り戻していければいいのです。
今のあなたに、ありのままの安心を。
SNSに振り回されすぎず、自分の心に正直に過ごせる日々を取り戻せますように。