SNSが当たり前になった今、毎日のように誰かが楽しそうな写真や体験を投稿しています。
キラキラしたカフェ巡り、旅行、仕事の成功報告、パートナーとの幸せそうな日常。
それを横目に、自分はというと、特に変化もない日々。
「投稿できるような出来事なんて、自分には何も起きてない」…そんなふうに感じて、画面を閉じる人も少なくありません。
この記事では、「自分の生活が地味すぎてSNSで発信できることがない」と感じてしまう心理背景に寄り添いながら、どうすれば心が軽くなるのか、そしてSNSとの付き合い方をどう整えていけるのかを、心理カウンセラーの視点で丁寧に解説していきます。
そもそも、なぜ「発信できるような出来事がない」と感じるのか
SNSに投稿する人たちの多くは、自分の「良い面」を切り取って発信しています。
実際には、彼らの日常もあなたと同じように、地味だったり疲れたりする時間がたくさんあるものです。
しかし、SNSには“編集された日常”があふれているため、それが「普通」だと錯覚してしまいます。
そのため、「自分の日常=何もない」「発信する価値がない」と思ってしまいがちです。
この背景には、心理的に「比較」「承認欲求」「孤独感」といったキーワードが深く関係しています。
比較が引き起こす自己否定
SNSでは、自然と他人と自分を比べてしまいます。
「この人は毎日充実してるのに、私は…」そんなふうに思うと、自分の生活が色あせて見えてしまいます。
でも、ここで大切なのは「SNSに映っている世界は、人生のごく一部である」という視点です。
一瞬の輝きを切り取った画像や文章に、自分の生活すべてを重ねる必要はありません。
承認されたい気持ちと「ネタがない」ジレンマ
人は誰しも「誰かに見てほしい」「認めてほしい」という欲求を持っています。
SNSはその気持ちを満たす場としてとても強力です。
しかし、「映えない」「話題にならない」投稿は注目されづらく、「自分には発信する価値がない」と感じてしまうのです。
このループが、さらに投稿へのハードルを上げ、「ネタがない」と感じる状態を深めてしまいます。
「何もしない日=悪」ではない
SNSで目立つのは、常に動いている人、話題を生み出している人たちです。
それと対比して「何もしない日」「だらだらした一日」が悪のように思えてしまうかもしれません。
しかし実際は、何でもない時間こそが人間にとって必要な「回復」の時間です。
地味な日常にも価値があり、それを無理に彩る必要はありません。
発信できることがない=何もない、ではない
少し視点を変えると、発信できる「ネタ」は実はたくさんあります。
何気ない日常の中にこそ、人は共感しやすいものが眠っています。
たとえば、
- 朝食で作ったトーストが少し焦げた話
- 通勤中に見た空がきれいだったこと
- 飼い猫がいつもと違う場所で寝ていたこと
こういった小さな出来事も、人によっては「癒される」「共感できる」と感じるのです。
大きな出来事や派手な体験だけが「発信すべきこと」ではありません。
「見る専」も立派なSNSとの付き合い方
無理に投稿しようとして疲れるくらいなら、SNSを「見るだけ」の使い方に切り替えてみるのも一つの方法です。
人の投稿を見て「いいね」を押したり、温かいコメントを残すことにも価値があります。
自分が発信者にならなくても、SNSの一部として関わることはできます。
「投稿=評価されるもの」という思い込みを手放す
「いいね」やコメントの数で、自分の価値を測ってしまうのは自然なことです。
ですが、それはあなたの本質的な価値とは無関係です。
投稿内容が注目されずとも、それがあなたの人間性を否定することにはなりません。
日々の発信は、「記録」や「自己表現」の手段であり、誰かに評価されるためのものではないのです。
心が楽になるSNSとの距離のとり方
使う時間を意識的に制限する
SNSを見る時間を区切ることで、無意識の比較から離れることができます。
フォローする相手を見直す
見ていてしんどい投稿ばかり流れてくるなら、思い切ってミュートやフォロー解除を。
「自分は自分」と唱える習慣を
誰かと比べそうになったら、一度立ち止まって深呼吸をして「自分のペースでいい」と言い聞かせてみてください。
「何もない」は、実は豊かさの証かもしれない
「SNSで発信するほどの出来事がない」と感じる日々こそ、心が穏やかで安定している証かもしれません。
目まぐるしい情報の波に飲み込まれず、自分のペースで暮らせていること。
それは決して「何もない」わけではなく、むしろとても大切で贅沢な時間です。
無理に発信する必要はありません。静かな日々を、大切に味わってください。